被害者の回復を考える一方で、《さっさと被害者の納得が得られる程度に「ごめんなさい」して終わらせやんと、どーなるか知らんで、こんなクソみたいにエグい事件…》という認識は当然ながら持つわけでね。《被害者の回復》と《運動》という天秤を頭と心でやってしまう。そりゃそうなる。
天秤で図ろうとしてしまう事自体が不謹慎ではある。しかし、どうしたって《差別に抗う》ことに賛同して身を投じてきた世界での話。《被害者の回復》と《運動》を天秤にかけてしまう事自体を責めようとは思わない。たぶん、未だに多くの《良く解らない人》は、天秤を揺らしているような気もする。
しかし、断言する。《暴力と暴言によって著しく傷つけられた個人の尊厳の回復》と《運動》を天秤にかけて、後者に価値を見いだしてしまうような《運動》なんてもんは、完璧にクソ以下だ。そんなもんが《人権》に資するワケがない。ヘイトスピーチの被害の意味さえ、理解できないよ。断言する。
”- k3_neoprotestersさんのツイート: “しかし、断言する。《暴力と暴言によって著しく傷つけられた個人の尊厳の回復》と《運動》を天秤にかけて、後者に価値を見いだしてしまうような《運動》なんてもんは、完璧にクソ以下だ。そんなもんが《人権》に資するワケがない。ヘイトスピーチの被害の意味さえ、理解できないよ。断言する。” (via wideangle)
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